「日本人であることを誇りに思う」

今日は、建国記念日。
我が国の悠久の歴史を顧み、先人たちの功績と文化を讃え、この国に生まれ、育ったことに感謝をし、誇りに思う日であると思います。

自然を大切にし、神に畏敬の念を抱き、森羅万象を尊重し、競わず、争わず、調和し、共存共栄の道を目指す。
それが、日本文化の神髄、または日本伝統精神の根幹であると、私は理解をしております。

私たちがその神髄や精神を取り戻し、実践行動すること。
今ほど、それが必要とされている時代はないと考えております。
日本人が日本人らしくあることこそ、我が国の平和を守り、世界の平和を守ることにつながると思います。

しかし、現代日本の日常生活において、伝統精神を取り戻すのは、なかなか難しい。
躾や礼儀作法の教育が、日常の中から姿を消したり、名ばかり、カタチばかりになっているからです。
そこで「道」と名のつく日本伝統芸能の稽古にそれを求める人も多いですが、それも必ずしも有効ではありません。

例えば、学校現場で武道教育が取り入れられてはいますが、その多くは競技スポーツとしての戦後の武道であり、本来の武道が持つ高い精神性や高度な身体操作は、伝えられていません。
それは、昨今テレビや新聞を騒がした某武道界の事情に、如実に顕れているのではないでしょうか。
真摯に稽古に励まれ、道を志しておられる方のお気持ちを察すると、いたたまれない思いです。
まことに、残念なことです。

学ぶなら、本物の武道を学ぶべき。
そのためには、本物を伝えられる指導者、道場を探すべき。
そう強く思います。
武道に限らず、どのような日本の伝統芸能でも、それは同じだと思います。

私は、幸いにして、素晴らしい師に出逢うことができました。
師が、自分の人生をかけ、命懸けで探求し、鍛え、磨き上げてきた粋を、誠心誠意伝えてくださる。
それは単なる感謝の気持ちに留まらない、魂を揺さぶられるような感動と喜びがあります。
日本人に生まれて、本当によかった。
そう心から思えることが、自分の人生にどれだけの希望と勇気を与えてくれることか、はかりしれません。

武道は、乱暴なもの、暴力的なもの。
あるいは、競技スポーツとの混同。
また、日本刀は、時代遅れなもの、物騒なもの。

そのような誤解は、本当に悲しく、残念なことです。
日本刀は、日本伝統精神の象徴ともいうべきものです。
その扱いの中に、日本伝統精神の真髄と、礼儀作法のすべてが含まれている。
そう申しても、過言ではないと思います。

「己の悪しき心を斬る」

それが、師の教えです。
そのために、徹底して、人を斬ることを稽古する。
実戦で使える術を磨く。
一見、教えと実践が矛盾しているように感じられるかも知れません。
しかし、何の矛盾もありません。
それがどのようなことなのかは、師のブログや道場のFacebookをご覧ください。

この善き日に、改めて己の幸福に思いを馳せ、心よりの感謝をする次第です。
ありがとうございます。

<今日の写真>
一昨日の稽古の1ショットです。
やさしく抱擁し、口づけするようにして、相手を崩す、投げる。
師に、その技をかけられているところです。
ちょっと、ドキドキしました(笑)
居合道場の稽古なのに、なぜこのようなことを?と思われることでしょう。
ここでは解説しませんので、ぜひFacebookページをご覧ください。

修心館岡町道場2月9日の稽古