「方向を変える」

私は、5年前までは会社員でした。
世間的には名の通った、一流企業に勤務しておりました。
「超」がつく優良企業であり、実際、とてもよい会社でした。
取引先、上司、同僚も、素晴らしい方ばかりでした。
もちろん、仕事にもやりがいがありましたし、処遇に不満もありませんでした。

では、なぜ辞めたのか。
子供にお金のかかるたいへんな時期なのに、なぜ安定した収入、身分を投げ打ったのか。
それは、

「息苦しかった、生き苦しかった」

からです。

私の仕事は、顧客企業の業界、業容をよく調べ、その企業が持つ顕在潜在の課題を発見し、それを解決すべく、自社のリソースを最大限に生かした企画を立て、提案し、運用する、そのような仕事でした。
当時の流行言葉で、「ソリューション(課題解決)・ビジネス」と呼んでおりました。
素晴らしい仕事であり、やりがいもありました。
しかし、私はどうしても、それに没頭することができませんでした。

顧客企業は、多岐に渡りました。
住宅住設、医薬、製菓、食品、自動車、家電、通信・・・
すべて、名だたる一流企業ばかりです。

しかし、いずれも、従来の経済的発展の延長線上の営みが前提です。
技術、市場、すべて最先端を追います。
その上で、どのようなビジネスを展開するか、新しい製品を開発するか、新しいサービスを提供するか。
もっと早く、もっと便利に、もっと快適に、もっとたくさん、もっと、もっと、もっと・・・
それを次々と考え、投入する。

当然のことながら、大量生産、大量消費が大前提です。

大量の資源やエネルギーを使い、膨大な時間と労力をかける。
日常の業務は、病休者を出すほど過酷である。
モデルチェンジやサービス切り換えに伴う無駄も、多い。
生活が便利に、快適になる一方で、人間がどんどん怠惰になる。
感謝や思いやりなど、大切なことが置き去りにされる。

いつの頃からか、そこに、大きな疑問を抱いてしまったのです。

このままで、いいのだろうか。
この延長線上に、果たして人類の幸せはあるのだろうか。
遠い子孫に、住める環境を残せるのだろうか。

そう考えると、手も足も、止まってしまうのです。
没頭できないどころか、時には、何もできなくなってしまう。
そんな自分が嫌で、心と身体を病みました。
10年以上、人知れず、苦しみ抜きました。

そして、5年前に、縁があって、私は方向を変えました。
追究し、進むべき方向を変えたのです。

「素の人間の可能性を、どこまでも追究する」

そちらに進もうと思いました。
身ひとつで勝負する整体師は、それにうってつけです。
見えざる世界も含め、人間の可能性をどこまでも追究する。
私が現在、道具も、器具も、機械も使わず、手技のみにこだわるのは、ここに理由があります。

未知の業界、未経験の仕事で独立自営する。
それは、想像を遥かに超えてたいへんでした。
死ぬほど、苦しみました。
たくさんの人に迷惑をかけ、支えられ、助けられました。
そうやって5年。

私はいま、心から信じ、かつ大好きなことに24時間没頭し、次々に新しいことを学び、自分を磨き、高め、それで人さまに喜ばれ、対価をいただき、何とか生活しています。
当時から考えたら、夢のような生活です。

人間、誰しも真剣に、自分の仕事に没頭したいものだと思います。
ただ、方向が違うと、苦しみます。
苦しみは、サインです。
方向が違うよと、魂が教えてくれているのです。

ぜひ多くの方に、自分がいま進んでいる方向がそれでいいのか、自問いただきたいと思います。
そして、方向が違うと思ったら、勇気を持って変えていただきたいのです。

人類の明るい未来は、そこから始まると確信しています。

応用講座(2) 実技の様子