【弱い立場へ降りていく】

昨夜、ファン・デグォン氏のDVDを観た。
同氏がいかなる人物かは、ネットで調べてみて欲しい。

過酷な人生を生き抜いて来た彼の言葉はとても重く、大きく私の心に響いた。
中でも、特に心に残った言葉。
それが、冒頭の「弱い立場へ降りていく」である。

有史以来約2000年間、人類は強さ、大きさを善として歴史を重ねて来た。
男性主導で、対立、闘争、略奪、支配を繰り返し、合理性や経済効率を最優先させる社会構造を確立した。

いま、その歪みやほころびが、社会の随所に露呈している。

しかし、私たちはその手を緩めようとしない。
相変わらずお金をいちばん大切にし、たくさんのものを求め、自然を搾取し、汚し、破壊し尽くし、愚かにも地球を生き物が住めない惑星にしようとしている。

このような時代、私たちは何を拠り所とすればよいのか。
その指標のひとつが、「弱い立場へ降りていく」ではないかと私は思う。

国家、権威、企業、組織。
そういう“大きなもの、強いもの”から、離れてみる。
そして、“小さくて、弱い”個人を、思考や行動の原点としてみる。
すると、見えてくることがたくさんあると思う。

考えれば、医療や代替療法の業界も同じだと思う。
現在は、「治療家」という強い立場で、「資格」という権威を振りかざし、「技術」という強力な武器を駆使して、「患者」という弱い立場の人間を救ってやるという図式が主流である。
それを必要としている人も多いだろうから否定はしないが、私はまったく違う道を歩もうと思う。

自分自身も不調や苦悩を抱える弱い立場で、寄り添い、支え合い、助け合いながら、共に学び、共にこれからどう生きるかを考える。
そのような中から、自分の可能性に気付き、生きる喜びや希望を分かち合い、共に未来を創造する。
そんな整体師でありたいと、私は思うのだ。

なぜなら今、健康は、単に一人の肉体だけで考えられる問題ではないからだ。
生命の源である空気や水や大地が汚され、不自然な食べものばかりに取り囲まれ、自分の頭で考えない均質で従順な人間を育てることが教育の第一義とされ、大半の大人は経済効率を最優先する社会構造の歯車として組み込まれていること。
それを自覚することが、これからの健康を考える上での第一歩だと思うからだ。

昨日、パートナーである森 亜紀子​から知らされたのであるが、宇宙的に見て、地球はいま、魚座支配から、水瓶座支配へ移行しているそうだ。
その結果、男性主導の対立、闘争、支配、合理性が主となる社会から、女性主導の愛、調和、統合、助け合いを主とする社会に変わらざるを得ないようである。

人類や社会がこのまま地球を汚し続け、戦争に向かい、滅びるのか。
旧来の価値観を手放し、再生への道を歩むのか。

それは、すべて私たち次第だと思う。
だから私は、強さや大きさを求めることを手放し、弱く、小さくあろうと思う。
吹けば飛ぶ、ちっぽけな弱小整体院は、その象徴だ。

どんなに小さくても、真心のこもった愛ある仕事をする。
先日、盟友である岡本 よりたか​さんがおっしゃっていたように、「抗わず、汚さず、偽らず」、毎日を過ごす。

大きな転機となった歴史的被災から4年たとうとしているいま、そんな生き方を重ねて行きたいと改めて強く感じた次第である。