【日本一の整体学校を作る】

私が、人に整体を教えるようになって、間も無く5年が経過する。

思えば、6年前の夏。
今は亡き師匠から、突然「早く俺の代わりをしてくれよ、ラクにさせてくれよ」と言われた。

師匠は「日本一の整体学校を作る」ことを目指し、某整体学校副学院長の座を辞し、自身の名を冠した整体塾を立ち上げたばかりであった。
私は、師匠からお声掛けをいただき、その手伝いをしていた。

当時、私は開業1年目。
サラリーマンから転職したばかり、右も左もわからず、師匠について回るのが、精一杯。
人に教えるなど、とんでもないことだった。
そんな私に、師匠はとんでもないことを言うなと、心底思っていた。

それから約半年後、あろうことか、師匠は突然、この世を去った。
何の前兆も予告もなく、何も告げずに…

「なんでやねん、なんでいま死ななあかんねん、一緒にやっていこう言うたやないか…」

悲しみ、落胆、絶望…
涙も枯れるほど泣きはらし、師匠に訴えた。
何も答えず、横たわる師匠…

その時に、「託された」と感じた。
やらねばと思った。

それからしばらくは、他の兄弟弟子たちと協力し、亡き師匠が創始した整体塾存続のために注力した。
しかし、どう頑張っても無理だと思った。

門下生たちは、師匠の教えを乞いたくて集まっているのだ。
師匠は師匠、弟子は弟子、違う人間だ。
このような運営(弟子たちが代理で教授をすること)は、彼らを欺くことになる。

兄弟弟子たちと意見が対立し、非難され、孤立し、私は師匠の整体塾を去ることにした。
悩みに悩んだが、私一人がこの塾は存続すべきではないという意見を持つ以上、それがいちばんの選択だと思った。

それが、5年前のちょうど今頃だ。
暑い時期だった。
しばらく着ていないスーツに身を包み、整体塾にお別れの挨拶に行った。

しばらくして、私から直接整体を学びたいという奇特な人が数名現れた。
駆け出し整体師である私が人様を導けるのか、これまた大いに迷ったが、師匠の遺志を引き継ぎたい気持ちが勝った。
やってみたいと思った。

あの当時、彼らの出現がなかったら、私は整体を教えることはしていなかったであろう。
だから、駆け出しの私を信じて集まってくれた彼らには何と御礼を言ってよいか、わからない。

いろんな偶然やギリギリの選択が重なり、その後大勢の方々との出逢いにより、整体法講座がカタチになり、育ってきた。
ずっと一緒に歩んでくれた森 亜紀子、私を信じて集まってくれた門下生たち、そして私を誹謗中傷する人たちも含め、関わってくださったすべての人たちに、心から感謝をしている。

今年になって、門下生の中に、月商100万円超える者が、複数名出現した。
しかも、うち1名は、開業後たった1年でそれを達成するという快挙を成し遂げてくれた。

月商100万円は驚くような数字ではない。
また、数字だけを評価の対象にするつもりもない。

しかし、嘘偽りや誤魔化しを一切排除し、自分の身ひとつで真に人様のお役に立つことのみを仕事とし、生業として成立させることは、この社会において、とても重要なことだと考えている。
だから、門下生の中から月商100万円を超える者が出現することは、ずっと私の悲願であった。

門下生たちは、本当に素晴らしい者ばかりだ。
一人ひとりがとても個性的でありながら、誰一人として徒らに自己主張をする者はいない。
一人残らず全員が、和する心、思いやりの心を備えた人格者だ。

門下生たちの存在なくして、この講座は成り立たない。
先週末の講座では、研修生だけでなく、修了生たちも多数参加してくれ、とても充実した時間を過ごすことができた。
私は、本当に幸せ者だ。

私自身、整体師としてよりいっそうの成長を遂げながら、この整体法講座をよりよいものに育てていきたい。
歩みは遅々としているが、日本唯一の「生き方を学ぶ整体塾」として、亡き師匠の遺志である「日本一の整体学校を作る」を目指していきたい。

門下生のみなさん。
そして、これから出逢うであろう門下生候補のみなさん。
ぜひ力を貸してください。
どうかよろしくお願いいたします。

http://juku.shin2raku2do.jp/