社畜化し、うつになる

サラリーマン時代、私は、30代後半でうつになった。
あまり好きな言葉ではないが、「社畜」の苦しみが原因だと思う。

以下、社畜について、ウィキペディアから引用する。

社畜(しゃちく)とは、主に日本で、勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマン、OLの状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から来た造語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。昔の「ガリ勉」に近い使われ方[要出典]。アルバイトで8時間以上働くのも同じである。

以前の記事で述べたが、厳密に言えば、私は就職したのではない。
就社、つまり入社しただけだ。
そして、その会社で、与えられた仕事をこなすに過ぎない。

与えられる仕事は、好きな仕事ばかりではない。
正直言って、私の場合、むしろ気乗りのしない仕事の方が多かった。

それでも、生活や家族を支える給料をもらうために仕事をする。
どんな仕事であれ、ものごとを成し遂げる充実感や喜びを感じることはできる。
何よりも、大企業に勤務しているという誇りや安心感があった。
だから、仕事を続けられたのだと思う。

30代半ばまでは、悩んだり迷ったりしつつも、何とかやってきた。
そのうち結婚し、子どもが生まれた。
子どもは可愛いし、彼らのためにもいっそう頑張らねばならないと思った

一生懸命取り組めば、どんな仕事も好きになると思う。
特に入社したての頃は、仕事の種類や内容を選り好みすべきではない。
しのごの言わず、どんなことも全力で取りくむ。
そうやって様々な経験を積むことが、成長のために必要不可欠だと思うからだ。

しかし、ある程度の社会経験を積むと、いろんなことを考えるようになる。
自分は、何のためにこの仕事をしているのか。
この仕事は、誰かの役に立っているのか、社会に貢献しているのか。
私の場合、若い時からそんなことを考えていたが、30代半ばを過ぎた頃から、さらに深く考えるようになった。

そして、ふと気付いた。
私の仕事は、誰の役にも立っていない、誰も喜ばせていないということに。

もちろん、仕事がうまくいけば、上司は労ってくれる。
顧客企業の担当者も喜んでくれる。
彼らのポジションを保つためには、大いに役立っているからだ。

しかし、私が担当したり、関わったサービスや製品や事業の大半は、企業が顧客である。
だから、利用者(=エンドユーザー)の喜ぶ姿や顔が、まったく見れない。

私は、それが本当に虚しかった。
上司や同僚のほとんどは、「何言ってるんだ、そんなこと嘆いても仕方ないじゃないか。給料がもらえれば、それでいいじゃないか」そのように割り切っているようだった。

だが、私は虚しかった。
一度しかない自分の人生、それでいいのか。
悩みに悩んだ。

さらに、気付いたことがある。

どんなに頑張って仕事をしても、所詮はサラリーマンである。
企業の看板を掲げないと、仕事はできない。
どんなにスキルを磨いたところで、ごく限られた範囲でしか通用しないのだ。
会社を離れれば、ただのオジサンである。

それでも、給料をもらうためだけに必死に働く。
嫌なことでも、納得できないことでも、信念や良心を捨ててでも取りくむ。
そのために、毎日、満員の電車に乗って会社へ通う。

エサをもらうために、狭い檻に閉じ込められ、黙々と毎日を過ごす。
そんな家畜の姿と自分がだぶって見えた。

それが、私の悩みと苦しみをさらに深くした。
何とかしなければと焦るが、焦れば焦るほど深みにはまっていった。
そして、ついにうつになってしまったのだ・・・

Follow me!

コメントを残す