「サラリーマン社会のなれの果て」

サラリーマンが悪いとは申しません。
私の父は、ずっとサラリーマンをやって、家族を養い、私たちを育ててくれました。
私も、24年間、同じ会社に勤務していました。

しかし、時代が変わってきている。
半ば本能的に「このままサラリーマンを続けていてはいけない」とずっと感じていました。
だから、サラリーマンを辞め、起業をしました。

それがなぜなのか、的確に表現している一文がありました。
ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井 正さんの著書「現実を視よ」からの抜粋です。

私は、柳井さんのことはよく存知あげないし、評価できる分際でもありません。
しかし、一起業家として、今の日本を憂う気持ち、そして何とかしたいという熱い思いには、たいへん共感いたします。

今や、安定を望める社会ではありません。
日本という国自体に、たいへん大きな危機が迫っています。
私たちの生活や社会に、かつてなかったほど、大きな変化がおきているし、さらに大きな変化が起きようとしています。

大きな企業が倒産するのは、日常茶飯事です。
業界そのものが消滅することさえ、あるのです。

そのような中、何を拠り所とするか。
それを、誰かに頼るのではなく、各人で考え、答えを見つけ、行動し、勝ち取っていく。
そんな時代になっているのです。

以下、引用いたします。
(※ビジネスマンの方には、この本を買ってお読みになることをお勧めいたします)

サラリーマン社会のなれの果て

日本から「資本主義の精神」がなくなった象徴が、「人材がサラリーマン化してしまった」ということだろう。
いま高校や大学を卒業したら、ほとんどの人は民間企業に就職する。それ自体は悪いことではない。そこで仕事に必要なスキルを学び、身につける。そうやって実力を蓄えながら、世の中にどのような価値を提供できるかを考え抜いて、それが見つかったときには、自分で起業する。
資本主義に適応するというのは、そういうことだろう。
ところがいつからか、会社に入ったらそこで最後まで働き続けて、上司から指示された仕事をこなすだけの生き方が日本では主流になった。労働者は、月末に会社から自動的に給料が振り込まれる「サラリーマン」ばかりになってしまった。
サラリーマンという労働形態を、資本主義の進化形という人もいるが、とんでもない。資本主義の原理とは競争である。競争に勝つだけの力がなければ、報酬も手に入らない。だから勝てるようになるために自分を磨き、爪を研ぐ。
しかしサラリーマン根性が染みつくと、世の中に価値を提供し、自分でお金を稼ぐ実感が、なかなかもてない。会社に時間を提供した見返り、それが給料なのである。
彼らにとっては毎月きちんと給料が出て、自分の生活を成り立たせるほうが、世の中を変えることよりもはるかに大切。だから新しい挑戦をせず、ひたすら組織のなかで自己保身に走る。
しかも、いったん既得権益を手にしたら最後、それを絶対に手離さない。かくしてエネルギーのベクトルは、社会を変えるのではなく、居心地のいい現在の状態をできるだけ温存する方向に傾いていく。
その結果、社会全体が硬直化し、外部の変化についていけずに表退する。いまの日本は、資本主義の精神を忘れたサラリーマン社会のなれの果てと言えないだろうか。

現実を視よ